つづけること

こんにちは。石村吹雪です。

 

私もこのごろ時々、ついに自分の過去を振り返るようになりました。歳をとっちまったのでしょうね。

 

ここ一年の間に「お前中学の時と変わらないな」と言われました。それは、特別若作りをしない私に対する褒め言葉であろうと理解しました。が、いや、実はそうではなく、大した成長もなくよくぞ今に至るな、という感嘆に近かったのかな、と気がついたところで、こう思うのでした。

 

「だって志半ばですもの」と。歳をとってそれなりのものを成し遂げたか?といえば私には特別何もありません。でも、好きがこうじて続けて来たものごとたちの、それなり(途中経過)の成果は感じています。し、それをもって人は(ことに生徒さんがた)、私を「先生」と呼びます。私に何もなければ、「先生」とは呼ばれないでしょうし、10年20年と通ってくださる皆さんに囲まれることはないでしょう。

 

この道に生きるのも概ね「厳し」く、私も自分の生きるべき場所をきちんとわきまえたほうがストレスも少なく、生きていられたことでしょう。誰も好き好んでこんな「厳し」い道を選びましょうか。でも、楽しいんですね。自分の成長を感じられることが。客観的に言えば、同年輩は我が子の成長を見て楽しんでこられたことと思います。いまだに自分の成長を楽しいと感じるなんて言っているから、「お前変わらないな」、と言われるのは道理なのかもしれません。しかしそれは、人それぞれの生き方、あり方です。隣の芝生は青いし、ないものねだりも人間の本性です。そしてもちろん、我が仏こそ尊いです。だからこそ面白いわけで、でも大切なのは、長く楽しめることに出会えることなんだと、本当にみんな頭で分かっていると思います。教室という言い方をしていますが、実はそれが妥当かはいまだに謎です。かけがえのない楽しみに出会える場所の一つになればいいなと考えています。

 

あ、書いていて気がつきました。厳密に言えば実は、歳をとっちまった同級生と話をすると、我が身を振り返るようになった、です。三輪さんや小浜田さんと話しているとき(余談ですが先日、何ヶ月かぶりに小浜田さんと会って話をしました。唾を掛け合うリスクを避け続けたためかも知れません)に、我々も歳をとったもんだな、なんて思いませんもの。そしてもちろん、岸川さんとお会いして、年齢なりの身体の変化のお話をしていても、歳をとっちまったな、とは思いませんでした。もしかしたらこれが、我々の特徴かも知れません。口で言ってみせるほど実は、自分が歳をとったとは思っていません。

 

おまけに、さきの岸川さんの堂々たる紹介動画を貼っておきます。あんまり堂々としていて、実はお会いするまでに教室でも少し噂にしていたのですが、興味深いことにこれを一緒に見た誰もが一様に「大丈夫ですか?」と私に問うたのです。「何が?」と思っていたのは私だけのようでした。時々見てニヤニヤする姓名判断通り、孤独なものですこの生き方は。